[徒然] 23 December 2006 はてなブックマーク - 日本人のアイデンティティの再発見 Twitterでつぶやく

日本人のアイデンティティの再発見

ご無沙汰です。マキノです。
この一年、私は中国にいたわけですが、やはり習慣の違う外国においては非常に苦労するわけです。特に自己のアイデンティティを維持するという部分においては非常に厳しいものがあります。
かつて明治時代、ロンドン(親父様より指摘により修正、森鴎外と混同しておりましたw)に留学した夏目漱石がアイデンティティの危機に直面し、精神的に追い込まれたように、海外に長期滞在する日本人は誰しもこのような思いをするのではないかと思います。

私が思うに、標準的日本人のアイデンティティは大別して下記の2つの層に定義可能だと思います。
第1層:個人の存在としてのアイデンティティ
→(家族や会社などはこちらに属するのでは?)
第2層:日本人としてのアイデンティティ

通常、国内にいる場合我々が意識するのは常に第1層の個人としてのアイデンティティです。そして海外などで個人としてのアイデンティティが危機にさらされたときに、この第2層の日本人としてのアイデンティティというものが首をもたげて参ります。

そんなわけで、この日本人としてのアイデンティティについて一つ分析してみようと思いました。

私が、この一年で感じた自分の日本人としてのアイデンティティで非常にわかりやすかったのは、「日本は技術立国である」ということと、「天皇がいる」という2点です。
↑危なっかしい話ではないですよ。私の同僚の中国人も見ることがあると思いますが、これは決して不快になるような類の話ではないです。

前者の技術立国である日本の国民という心理をどこで痛感したかというと、特に買い物や広告を見るときです。

結論から言うと、自分は車から電化製品まで「日本製が大好き」なんです。当たり前のように聞こえますが、これは非常にすごいことなんです。なぜなら日本人である私にとって「国産の製品が大好き」ということだからです。これは、そう簡単に言えることではありません。

例えば中国においては、当然ながら携帯電話や、TV、ビデオなどは日本製のものが人気です。さらに言えば、日本メーカーのものではなく、日本で生産した物というのはプレミアすらつきます。言い換えれば、外国の製品の方が品質が高く好まれているのです。

ある国が国産の製品について、価格以外で胸を張ることができるというのは非常に大変なことなのです。これはどの発展途上国において、国産車というのが悲願に近い重要性を持つこと空も伺えます。
国民が自国の製品について裏打ちされた自信を持つ為には、1年や2年ではなく4半世紀単位での長期にわたる投資、教育、経験などを総合的に積み上げることによって初めて可能な事なわけです。←先人に感謝

そんなわけで、私は町中にあふれる日本メーカーの看板や商品を見ると大きな励みになります。つまり日本人としての誇りやアイデンティティが強化されるわけです。

さて、もう一方の「天皇がいる」という部分についてです。
↑先に断っておきますが、右とか左とかの話ではなく私の平均的日本人としての心情を分析する物ですので、悪しからず
実感したのは、先日の天皇誕生日に伴って発表された記者会見の全文を、しっかりと読んでいる自分に気づいたときです。
http://www.asahi.com/national/update/1223/TKY200612220415.html

まあ実感するも何も、この事象は既に自分(そして大部分の日本人)の心理的構成要素の一つなわけです。もっと踏み込んで言うならば、日本人の常識にまで影響を及ぼしています。
例えば、分別ある大人の日本人であれば、公の場において天皇を否定したり、侮辱したりするという発言や行為は非常識な部類の行為に当たるでしょう。
↑その行為、思想の善悪について述べているわけではないです。個人の思想は自由です。
そして、一般的な日本人にとって天皇に対しては最低限の敬意を払うべきという暗黙の了解があります。(天皇に対して敬意を払わない発言などは、容易にこのような事態を招きます。)

とまあ、そんなわけで国内にいたときには気にしていなかった私の日本人としてのアイデンティティを再発見いたしました。

天皇制に関する補足:
天皇制は外国人にとって非常に理解されにくい心理だと思いますが、天皇というのは日本人としてのアイデンティティの中核に位置すると言っても過言ではないと思います。
ただし、これは非常に奇妙な形で中核をなしており、一時期を除いてはいわゆる王や支配者、神としての性格を持っていません。(とかく天皇制というと第2次世界大戦がクローズアップされますが、事の重大性はともかくも日本の歴史全体において僅か半世紀の期間の出来事です。)
天皇とはまさに日本国憲法に定義されている象徴でありそれ以上でも以下でもない存在で、断罪や非難の対象にはならないのです。
ところが、面白いことに、この象徴という現象は何も戦後日本国憲法が制定された後の現象ではなく、天皇による直接統治が終了した後、武家による統治の時代から既に始まっています。
例えば、日本においても過去何度となく政権の交代が行なわれましたが、それらは全て天皇制を廃止して新たな王権を打ち立てるという形ではなく、天皇の下の政治組織が入れ替わるという行為によってなされてきました。
また、多くの場合において、天皇は武力を持たないにもかかわらず、豪族が政権幕府を打ち立てる際には天皇により将軍の任を拝命しなければなりませんでした。そうしなければ、被支配者層から正当な支配者として認められなかったのです。(非常に面白い現象ですがw)
天皇という制度はなんとも不思議な制度なのです。

興味のある人は、こちらの記事も読んでみてください。

現実主義に目覚めよ、日本!(第45回)[日下公人氏]/SAFETY JAPAN [コラム]/日経BP社
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/column/p/45/index.html

ではまた

Comments

ranmaru wrote:

漱石が留学したのはイギリス。ドイツは鴎外です。(「鴎」はうそ字だけど、これしか出ないのでやむを得ず使いました。)

26 December 2006 at 23:55
Cランチ wrote:

NYに行った時、ある店で傘を買おうとしたら、店員が傘の名札を確認して、「"Made In Japan"って書いてあるから大丈夫だ」と言って手渡してくれました。
その傘が本当にどこで作られたかはともかく、日本製というだけで品質が保証され、信頼性があるんだと思いましたよ。
日本人として誇りを感じただけではなく、今まで数多くの日本人が世界に提供してきた精神みたいなものを、自分もちゃんと身に着けないといけないなーと思わされましたね。

14 January 2007 at 23:16

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