[徒然] 04 February 2006 はてなブックマーク - オブジェクト指向と唯脳論的思考から見たライブドア事件 Twitterでつぶやく

オブジェクト指向と唯脳論的思考から見たライブドア事件

ライブドア事件に関して、以下に非常に面白い記事が掲載されています。
この記事はライブドアの不正の経緯や善悪といった近視眼的視点ではなく、何がライブドアのビジネスモデルを可能にしたのか、そしてライブドアのビジネスとはなんだったのかという視点で切り込んでいます。

ライブドアのビジネスモデルとは何だったのか
吉田 繁治氏(経営コンサルタント)
http://nikkeibp.jp/sj2005/contribute/f/01/index.html

この記事では、「ルールが変わった」と言うことを繰り返し述べています。
ここ数年、特に米国の90年代末期のニューエコノミーによるITバブルから盛んに叫ばれるようになった「株主価値」という概念に焦点を当てています。

通常、金融関係でない人間は企業の価値というものは実経済がついてくるものだと考えがちです。しかし、「ルールが変わった」のです。
「会社価値=株主価値=株の時価総額」
という通念が浸透し、本来あるべきプロセス(本業の価値)をショートカットすることが可能になりました。というより、株の時価総額という概念を抽出したことにより、ショートカットされるべくしてされたはずです。


つまり、私はここに養老孟司の言うところの脳内世界オブジェクト指向におけるインタフェースの介在を感じます。
養老孟司はプログラマではないのでそのような表現はしていませんが、彼の唯脳論などを読む限り、私は脳の現実世界の認識プロセスと言うものはインタフェースの介在により成り立っていると受け取りました。それの示すところは、世界はインタフェースにより成り立っていると言うことです。

前置きが長くなりましたが・・・・。w
これを今回の件に当てはめてみましょう。
今日、実世界において我々は社会に対する貢献のインタフェースがお金だとは誰も思っていません。本来はそうでした。
現代社会において、我々は社会に貢献しその貢献の証としてお金を受け取ると言うプロセスを意識していません。つまりプロセスをすっ飛ばしています。ただの紙切れや卑金属であるお金を得ることが目的になりました。私的に表現するならばインプリメンテーション(実体)は何であってもかまわなくなったと言うことです。
わかりやすく言うならば、お金であれば出所は問わないといったところでしょうか、お金を得る手段が合法であろうが違法であろうがお金はお金というわけです。

現代ではその思想はさらに推し進められ、いったん貨幣や紙幣というインタフェースを得た社会貢献度はその数量を示す数値と言う形で新たなスーパーインタフェースを獲得しました。
こうなると、先ほどのインプリメンテーション(実体)を問わないという現象によりさらに脳の目的は変化します。つまりお金と言うインタフェースの表現形を獲得することから、数値を増やすということへ変化しました。
ここまで実世界から乖離すると、もはやインプリメンテーション(実体)は何でもかまわなくなります。
そしてそこに数値のインタフェースを実装した株というインプリメンテーション(実体)が割り込んできました。

大事なことは、ある事象から概念すなわちインタフェース(お金、お金の数値等)を抽出すれば、脳は自然な帰結としてインタフェースを実装していればインプリメンテーション(実体)は何でも構わないという結論に達するということなのです。なぜならそれがシンプルだからです。
要するに、事件の原因は規制がゆるかったからでも、ホリエモンがずる賢かったからでもなく、起こるべくして起こった現象だということです。

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